アルジェの太陽【MUSICUS!共通(中編)】

 僕は切実に光を求めた。

 正気を保つには、光が必要なんだ。

 このドアの向こうには、青空と輝く太陽があって、その清々しい何かが、僕の内側を明るく照らし出すのだろう。

 そして、正しい何かを思い出すのだ。

(瀬戸口廉也『キラ☆キラ』/前島鹿之助)

 

 

 前回の記事「世界の果てへの旅」では、安部公房の「壁」という作品を引用しつつ、MUSICUSに見られるその影響についてを考察してきた。

 安部公房だけでなく、彼の作品に影響を与えているであろう作家や作品は無数にある。しかし、あえて特筆するのであれば、彼の作品に特に強い影響を与えていると思われる作家がひとりいる。

 

 その作家の名は、アルベール・カミュ

 ノーベル文学賞も受賞したフランスの作家である。

 瀬戸口廉也作品の、特にキラ☆キラにおいては、カミュの作品の影響を強く受けていると感じられる描写が多い。

 

 この記事を読んでいる人で、カミュという作家を知る人はどれくらいいるのだろうか。

文学が好きな人であれば、彼のことを知らない人などほとんどいないだろう。

 しかし、カミュという作家を知らずとも、殺人の動機を「太陽がまぶしかったから」と語った殺人犯の物語を、多くの人は耳にしたことがあるのではないだろうか。

 あまりに荒唐無稽かつ意味不明な理由でありながら、一度聞いてしまえば忘れることのない強烈なフレーズである。

 これはカミュの代表作「異邦人」の主人公ムルソーの台詞だ。

 彼はアラブ人を殺した罪に対する裁判のなかで、この台詞を口にする。誰がどう聞いても苦し紛れの言いわけのようにしか聞こえないのに。

 ムルソーは何故、真実を述べなければならないはずの法廷の場で、こんな無茶苦茶なことを言ったのだろう。

 

 今回の記事では、作家カミュの人生と異邦人という作品を追いながら、瀬戸口作品への影響とMUSICUS本編に係る内容についてを考察していこう。

 

アルベール・カミュ『異邦人』

 貧困は僕にとって必ずしも憎むべきものではなかった。なぜなら、太陽と海は決して金では買えなかったから。

 私が自由を学んだのは、マルクスのなかではなかった。私は自由を、たしかに貧困のなかで学んだ。

(アルベール・カミュ)

 カミュという作家の人生は、アルジェリアの地から始まる。カミュは曽祖父の代からアルジェリアに入植したフランス人の家庭だった。

 父親は家族を養う働き手であったが、カミュが生まれてすぐに戦争で亡くなってしまう。

 一家の稼ぎ頭のいなくなってしまったカミュの家族は、地中海に面したアルジェの地へ祖母を頼りに移り住み、極貧の生活を強いられるようになる。

彼の生活は、横柄な祖母と障害を持つその息子と娘、そして耳の聞こえない母親達との狭いアパートでの共同生活だった。

 小さな子供にとって、この極貧で狭苦しい生活に嫌気がさすのは当然ではないだろうか。もしくは、自分の同じくらいの歳のごく一般的な家庭の子供に対して、怨みや羨望を抱いてもおかしくないはずである。

 

 けれど、カミュは誰も羨むことはなかった。慎み深いという性格もあったのかもしれない。

 彼にとって、どこまでも青く広がる地中海と、美しい太陽があれば、それで充分だったのである。

 後に、カミュは当時の心情をこのように綴っている。

 私の少年期を支配していた美しい太陽は、私からいっさいの怨恨を奪いとった。私は窮乏生活を送っていたが、また同時に一種の享楽生活を送っていたのである。私は自ら無限の力を感じていた。

(…)この力の障害となるのは貧困ではなかった。アフリカでは、海と太陽とはただである。さまたげとなるのは、むしろ偏見とか愚行とかにあった。

(アルベール・カミュ)

 カミュの作品には、その多くに「太陽と海」が印象的に描かれている。どれだけ苦しい状況のなかにあっても、太陽と海だけでは誰のものでもなく、自由と救いの象徴として描かれているのである。

 カミュにとって、太陽や海は何者にも変えられることのない真実の象徴であり、その暖かな陽の光の下に生きる小麦色の肌の人々は、どれだけの貧しくても、自由と生きる力に満ちている。

 そして、そういった自由や生きる力をさまたげるものは、生きるうえでの貧しさや苦しさではない。偏見や愚行-人の生きる上で後付けでできたような道徳や常識、正義といった価値観が自由をさまたげている。

 カミュは、そんな風に感じていたのかもしれない。

 

 彼の著作「異邦人」において、カミュの哲学を投影した主人公ムルソーは、白日の太陽を浴びて生きるひととして描かれている。

 

 今日、ママンが死んだ。

(アルベール・カミュ/異邦人)

 異邦人という作品は、施設に預けていたムルソーの母親の葬式の場面から始まる。

 彼は自分の母親の葬儀に参列した次の日に、恋人のマリィとともに海水浴に出かけ、喜劇映画を観て笑い転げる。

母親が亡くなった次の日にである。

 

 少なくとも私の感覚では、この行動はなかなか理解しづらいところがある。自分の親族が亡くなった日に、金曜日の夜に飲み屋にでも寄るかのような感覚で遊びに出かけているのである。

 この彼の支離滅裂な行動は、後にアラブ人を殺害した罪の裁判において、検事に問い詰められることになる。はじめは有利だったはずの裁判は、彼のこの行動とそれをおかしいと感じていない感覚が露呈するにつれて不利になっていき、最後には死刑を言い渡されるのである。

 母親の死を悲しむこころを持たない、一抹の道徳心すら持ち合わせない殺人犯。

 法廷はムルソーのような道徳心を持ち合わせない人間を生かしておくことはできないとして、極刑の判決を下したのである。

 

 私のようなみみっちい人間であれば、同じように検事に問い詰められたなら「気が動転していた。」とか「母親が亡くなったことが寂しかったから、良くないとはわかっていたけれど遊びに出掛けた。」くらいのことを平気で言うだろう。そうすれば罪は軽くなるし、実際のところ、その言葉が本当かどうかを確認する手段がないからである。

 だが、ムルソーはそうしなかった。遊びに出かけた理由を頑なに「なんとなく」であると検事に言い続けたのだ。そんなことをすれば、どんどん裁判が不利になっていくことなど分かりきっているのに。

 

 彼は何故、こんな行動をとったのだろう?

 それは彼が、自分自信の感情と、今この瞬間を生きていることに対して、誰よりも正直であったからである。

 

 確かに、自分の親族が亡くなったとして、それを悲しいと思うことは当然のことかもしれない。

 けれど、「親族が亡くなった人は、その死を悲しみ、周りの人もその心中を察して気遣わなければならない」というのは、人が亡くなった際の慣習でしかない。日本では喪中の人に年賀状を送ってはならないという慣習があるが、それらが感覚的に一番近いものではないだろうか。

 ムルソーとって、そういった「道徳的な慣習」は自分の感情に対するウソでしかないのである。

 実際、母親が死んだ時、彼はその死を深く悲しんだ。

けれど、以降の「慣習としての悲しみ」については、ムルソー本人の悲しみではなく、他人の作り出した道徳観でしかないのである。

 彼にとっては、一瞬一瞬のうち移り変わり続ける自身の感情こそが真実であり、社会のなかでつくられた道徳観は、全て虚構に過ぎないのだ。

 では、そうした道徳観が虚構であるとして、何故彼はそれこそ脅迫でもされているかのように、本当のことだけを法廷で証言するのだろうか。

 

 それこそが、彼が「太陽のせい」でアラブ人を殺した理由なのだ。

 先にも書いたが、カミュという作家にとって、太陽とは「誰のものでもない生きる力の象徴であり、真実を照らし出すもの」なのである。

 照りつける白日の太陽の下では、人の作り出した虚構(カミュの言葉を借りれば、偏見とか愚行)は意味をなさず、常に真実が照らし出されなければならないのである。

 照らし出された真実の感情による行動が、例え道徳的にどれだけ愚かで醜くく見えるようなものであったとしても、それはまったく陰りのない、生きる力に満ちた本来的な人のあり方なのだ。

 

 いやいや、なんでそうなるねん。とは思う。

 ただ、幼少期の貧困のなかで、「誰のものにもならない自由と生きる力」を太陽と海のなかに見出したカミュという作家にとって、太陽は人の生きる力の象徴であり、それをさまたげるウソは、彼にとって良くないものなのだ。

 そして同時に、彼は倫理観では測ることのできない、一瞬一瞬で移り変わる予測のできない馬鹿でかい「不条理な感情」が人を人たらしめる根源的なものであり、無限の力であるのだと訴えているのである。

 ムルソーが作品の中でおおよそ道徳観や倫理観から外れた真実の感情を語る時、常に照りつける太陽が描写されている。

 そして、一瞬一瞬で移り変わり続ける感情を法廷で表現しなければならなくなった時、その言葉は「なんとなく」という言葉でしか表すことができなかったのである。

 仮にもしそこに理由があるとするならば、ウソをつくことを許さず、揺れ動く感情を常に照らし出す「太陽のせい」でしかないのである。

 彼は、真実の意味で最も人間らしく生きている。けれど、社会から求められる言動や立ち振る舞いをすることができないルムソーは、多くの人の目から見れば人間のような何か、つまるところ異邦人でしかないのである。

 

山中鹿之介の伝説

 さて、ここからは瀬戸口作品におけるカミュの影響を追っていこう。

 瀬戸口作品においても、物語における重要な場面において、太陽やそれに近しい光が描かれる。

 そしてそれは、MUSICUSの前日譚となるキラ☆キラにおいて特に顕著だろう。

 キラ☆キラという作品のタイトルには、いくつかの意味が込められていると思われるが、その一つに、カミュの太陽のような「真実を照らし出す光」という意味が込められていると考えられる。

 そして特筆すべきは、主人公の前島鹿之助の存在だろう。

 以前の記事で紹介したように、鹿之助は、「周囲の人間の顔色をうかがいながら、その場に合わせて、最もそれらしい行動や言動をする」ように育った。

 これは、カミュの哲学を基に考えると「表面上の正しさだけで、本来的な生きる力を失った」人間なのである。これは異邦人の主人公ムルソーとは真逆の関係であると言える。

 

 そうした彼のあり方を象徴していると言えるのが、彼の名前の由来である。

 前島鹿之助という名前は、とある戦国武将にあやかって、親にこの名前をつけられたのだと鹿之助本人が語っている。

 その武将とは、山中幸盛

 通称、山中鹿之介と呼ばれる戦国武将である。

 山中鹿之助は、今から400年前、現在の中国地方に実在した戦国武将である。彼は元々、主家である尼子家に使えていた武将だったが、西日本を制覇した毛利家の侵攻によって尼子家は攻め滅ぼされてしまう。

 戦国武将であれば、仕えていた先が滅ぼされてなくなれば、新しい仕官先を探すのが普通である。働いている会社が潰れたら、新しい会社を探して働き口を見つけるという感覚は、今も昔も変わらないだろう。

 しかし山中鹿之助は、滅ぼされてしまった尼子家を蘇らせるために、一人奔走し続けるである。そしてそれは、ものの一度や二度の試みではなかった。敵方に何度捕らえても、あらゆる手段を使って脱走し、宿敵である毛利家に立ち向かうのである。

 彼を危険視した毛利家の吉川元春によって殺されるまで、彼の毛利家への反抗は終わることはなかった。全ては尼子家を再興するため。自分を召抱えてくれた尼子家への忠義心によって成り立っていた。山中鹿之介の人生は、後の勝海舟をして「今までの日本に、最初から最後まで志を貫いた人は、山中幸盛だけである」と言わしめている。

 そんな彼の伝説の中に、こんな逸話がある。

 尼子家が滅ぼされ、毛利家との戦いと逃走に明け暮れる中で、彼は山の端かかった三日月に向かってこんな言葉を語りかけるのだ。

 

「月よ、我に七難八苦を与え給え。」

 

 つまるところ、めちゃくちゃしんどい目にあっても構わないので、自分の目的である尼子家再興を叶えて下さい、と月に願った訳である。

 これは、鹿之助が幼少期より戦いの勝利を月に願ったということにも関係しており、彼にとって月は、カミュが太陽を信じるように、自分にとっての祈願の対象だった訳である。

 

 実際のところ、こんなワンシーンがあったという確証はなく、後年の創作に付け加えられた作り話である可能性が非常に高いだろう。しかしながら、彼の忠義心の塊とも言えるようなその生き方は、後の人々の心を強く惹きつけたのだ。

 彼の人生は「七難八苦」に始まるようなおよそ架空のエピソードを付け足されながら民間伝承となり、「山中鹿之助の物語」という伝説となって現代まで残り続けることになる。

 

 そして、その生き方や伝説は戦前の教科書にも採用され、「受けた恩を最後まで忘れない、日本人道徳の模範的な人物像」として現在の日本人の道徳観に強い影響を与えることになるのである。

 キラ☆キラの主人公前島鹿之助は、こうした背景の人物を下敷きにして、その名前が付けられたのである。

 

真実の太陽と虚構の月

 真実は、光と同様に目をくらます。

 虚偽は反対に美しい黄昏であって、すべてをたいしたものに見せる。

(アルベール・カミュ)

 さて、ここまでで紹介した人物について、ここでもう一度整理してみよう。

 異邦人のムルソーは、白日の太陽に照らし出される一瞬一瞬の感情が、どれだけ愚かで醜い不条理なものであったとしても、それこそが人の本来持つ無限の生きる力の源泉であると信じていた。そして人間が後から作り出した道徳や正義といった愚行は、それらをさまたげるものであり、真実を覆いかくす虚飾なのである。

「君は若いし、こうした生活が気にいるはずだと思うが」私は、結構ですが、実をいうとどちらでも私には同じことだ、と答えた。すると主人は、生活の変化ということに興味がないのか、と尋ねた。誰だって、生活というものは似たり寄ったりだし、ここでの自分の生活は少しも不愉快なことはない、と私は答えた。主人は不満足な様子で、君の返事はいつもわきへそれる、といい、君には野心が欠けているが、それは商売にはまこと不都合だ、といった。そこで、私は仕事をすべく席に戻った。私だって、好んで主人を不機嫌にしたいわけではないが、しかし、生活を変えるべき理由が私には見つからなかった。よく考えてみると、私は不幸ではなかった。学生だった頃は、そうした野心を大いに抱いたものだが、学業を放棄せねばならなくなったとき、そうしたものは、いっさい、実際無意味だということを、じきに悟ったのだ。

(アルベール・カミュ「異邦人」)

 彼は勤め先の主人にパリへの転居を勧められる。華やかなパリのまちは、おおよそ若者にとっての憧れであるし、アルジェのような偏狭の地にいるよりも実りのある生活ができるはずだ。

 けれどにムルソーとってその華やかさは虚飾であり、太陽を遮るものがない限り、どこに住み生きようと結局のところ何も変わらないのである。

 

 世の中の多くの人にとって、華やかなパリのまちに移り住むことは、幸せなことであるかもしれない。

 しかし、人間の作り出したまちの華やかさに価値を見いだせない彼にとって、パリに移り住むことは幸せになり得ず、そしてまた不幸ではなかったのである。

 

 転勤の話のすぐ後に、結婚の話をするために、恋人のマリィが訪ねてくる。

 ムルソーは彼女との会話の最後に、こんな言葉を残す。

私は、しばらくの間パリで生活したことがあるのだと教えてやると、どうだったと、尋ねたから「きたない街だ。鳩と暗い中庭とが目につく。みんな白い肌をしている」と私はいった。

(アルベール・カミュ「異邦人」)

 彼は、パリのまちを人のつくった華やかさで満ちたまちであり、太陽の光の届かない暗いまちであるとも言っている。

 

 では、キラ☆キラの前島鹿之助はどうだろうか。

 彼は、彼自身の感情を常に覆い隠し、その場に合わせた最もそれらしい言葉を口に出す。そうしていることが、最も利口な生き方であり、人生に余計な波風を立てない方法であり、不幸にならない生き方だと考えているからだ。

 ルムソーの考えに照らし合わせると、彼は虚構という華やかさのなかで生きているということになる。そしてそれは、人の本来的なあり方を否定しており、本当の意味で、力強く生きることを否定しているとも見てとることができる。

 複雑な家庭事情から、そうした生き方を選択して生きてきた鹿之助に、彼の祖母は一言だけ言葉を投げかける。

 

 

「不幸じゃないってことが、幸福じゃないんだよ」

 ムルソーは「普通の人にとって当たり前の幸福」を幸福に感じないことを、自分が不幸であると感じることはなかった。鹿之助の祖母の言葉は、それと対照の言葉であるようにも聞こえる。

 

 こうして並べてみると、彼らの行動と考えは全くの正反対であり、真逆の存在であることがうかがえる。

 言い換えれば、この二人は「真実を包み隠さず照らす太陽」と「偽物や醜いものであっても、それらを美しくみせる月」の対比であり、それぞれのメタファーなのである。

 

 キラ☆キラの物語は、最もらしい生き方を選択する日々にどこか虚無感と空しさを感じる前島鹿之助が、自身の内側を照らす太陽を求める物語であると言っても良い。

 彼の自分自身ですら忘れてしまった内面を照らし出すものは、太陽だけではない。作中に描写される太陽に等しい存在は「ライブとステージライト」と「椎野きらり」である。

 とにかく無我夢中で、必死に演奏しているうちに、ふっと、ステージライトが明るくなったような感覚を覚えた。

 何かトラブルがあったのかと顔を上げたが、そこにあったのはライブをはじめたときと変わらないライトの光だった。

 不思議に思いつつ、また手元に意識を集中して演奏を開始したのだが、やっぱりどんどん視界が明るくなってゆくような気がして仕方ない。

 どこかに意識を吸い込まれるような、ちょっと怖い感じがする。

(…)ほとんど忘我に近い冷たい集中力のなか、周りの音を聞く耳と、弦をかき鳴らす腕だけが、僕の全てになってしまったみたいだった。

 眼前にいるはずの膨大なオーディエンスのことも、会場のどこかにいるというテレビカメラのことも、何一つ考えなかった。

 同じステージで演奏しているはずの、他のメンバーのことも意識しなかった。

 かわりに、そこには彼女たちの作り出す音があり、僕はその音の存在だけを意識していた。

 光がどんどん強くなってゆく感覚も、はじめこそ恐ろしかったが、すぐに無視できるようになった。客席からの音はまったく聞こえずに、モニタースピーカーの音だけがどんどんクリアになって来るように思えたが、それは演奏を続けていく上で好都合だった。

 意識しなくても音がはっきり聞こえるようになると、僕は急に自由になったような感じがした。

 こんなに思い通りに演奏できるなんて。

 そのことが、こんなに嬉しいことだとは、知らなかった。

 曲が終わり、MCの時間になると、また周囲は暗くなった。

 ステージライトの光はあいかわらずこれ以上ないほどの光を僕らに照り付けている。

だけど、先ほどまで感じていた光のようななにかに比べれば、明らかに輝きが落ちて、薄暗く感じられてしまうのだ。

 これが普段の世界の光量なんだとしたら、僕はいままでずっと、こんな薄暗い世界で生きていたのだろうか?

 早く次の曲が始まらないかなと思った。

 自分はいまとても良い状態に入りつつある。

 僕は心のなかの、火照ったその感覚を次の曲の開始まで失わぬよう、大事に抱えながら、眼前で行われるMCを眺めていた。

(瀬戸口廉也『キラ☆キラ』/前島鹿之助)

 物語の佳境とも言える福岡でのライブシーン。鹿之助本人すら忘れてしまっていた内面を、ライブのステージライトの光が照らす。

 盛り上げり続ける会場の熱気とステージの演奏のなかに、彼は忘れかけていた、活き活きとした自由のような感情を思い出す。

 

 暗がりの中に見つけた自由。それは鹿之助がテニスの練習のなかで見つけた境界線の向こう側にある自由とは少し異なっているようにも感じられる。鹿之助ひとりでは、その自由にはたどり着くことができなかったのだから。この輝かしいステージまでくることも、一人ではできなかっただろう。

 彼をここまで導いたのは、椎野きらりというもう一つの太陽である。

 ステージライトの輝きは、暗いところに突然現れたせいか、文化祭のときのあの太陽よりも、ずっとまぶしく感じられる。

 あまりにも輝きすぎているものだから、僕はなんだかそこに入ってはいけないような気がして、そこで足が止まってしまった。

 すると、僕を呼ぶ声。

「鹿くんっ!」

 いつのまにかステージにあがったきらりが、あかりのなか、僕を振り返っていた。

「何やってるの!はやくおいでよっ」

 光の中からきらりは呼び、一歩近づいて、僕の手を取った。

 彼女が手を引っ張ると、僕の全身は魔法が解けたように軽くなった。

 ため息をつき、僕はステージの光のなかに飛び込んだ。

(瀬戸口廉也『キラ☆キラ』/前島鹿之助)

 バンドが初めてライブハウスで演奏するシーンにおいて、暗がりから鹿之助を連れ出すきらりの姿がうかがえる。物事を冷めた視点からしか見ることのできない鹿之助にとって、面白いことや嬉しいこと、悲しいことや辛いこと、そういった全てをありのままに感じて生きているきらりは、鹿之助にとっての「太陽」であり、内面を照らし出す光の象徴として描写されているのである。

 

 

MUSICUSの太陽

 ここまで、カミュという作家と瀬戸口廉也の過去作の関係性を解説してきた。

 最後に、MUSICUS本編に垣間見えるこれらの描写について見ていこう。

 

 

 MUSICUS本編において、直接的に太陽の描かれるシーンはほんの数回程度しかない。しかし片手で数えられる程度の回数にも関わらず、一度本作をプレイしたことのある方であれば、およそそれがどのシーンかをすぐに思い出せるであろうほど重要なシーンの背景として、MUSICUSの太陽は描写されている。

 本作の太陽が照らし出すものは、キラ☆キラのような性格や社会性といった内面の虚飾を照らし出す光とは少々異なる。あえて言うのであれば、その存在は『問いかけ』そのものである。

 ジリジリとアスファルトに照りつける真夏の日差しと、無数に転がる蝉の亡骸を背景に太陽が照らし出すものとは、『人はなぜ無意味だと知りながらも生きようとするのか』ということへの根源的な問いかけなのだ。

 この太陽の問いかけを前に「死にたくないからなんとなく生きている」などというような誤魔化し(虚飾)は意味をなさない。

 何故ならば、この問いかけを前にした時、人は『生』と『死』という二つの答えしか持ち合わせ得ないからなのである。

 

 どういうこと?と思う方もいるだろう。ぼんやりした書き方になったことについて、まずは謝らなければならない。

 このMUSICUSの太陽は、本編のあるシナリオの結末に深く係る描写であるため、ここで詳細を考察することは壮大なネタバレに繋がってしまうのだ。

 そのため、今回の記事はあくまで作品の共通部分となる『太陽の描写』の意味についての考察に止め、『MUSICUSの太陽』の意味については該当するシナリオ考察の記事に任せたいと思う。

(それまでこのブログ続いていればの話。)